【出逢い】14歳、嵐色の仁仙更紗にひとめぼれ〜初めてのお誂え着物〜

仁仙更紗の柄

ひとめぼれ。赤、青、緑、黄、紫。

濃く深く混ざり合う色達は、まるで恋焦がれる私の青春・アイドル嵐色。

初めてのお誂え着物は、14歳で選んだ成人式の着物。

前田仁仙の型染小紋を目一杯の袖丈で仕立ててもらった。一目惚れだった。

いつものようについていった、おばあちゃん贔屓の大手呉服屋の展示会。

「暇だし行くか〜」くらいのノリで行ったそこには華やかな着物が美術品のように並んでいた。

当時中学2年生。

おばあちゃんが担当さんから勧められている商品がどんなものだったか全く興味も無く、ひとり会場を歩き回った。

目に留まったのが染小紋作家『前田仁仙』の美しい反物、『仁仙更紗』だった。

幼少の頃より歌舞伎役者をしていた叔父について挨拶に回る祖母は、着物を着こなす粋な格好いい昭和7年生まれの元バリキャリで個性溢れる緑髪のおばあちゃんだった。(地元の幼馴染には卍ばあちゃんと呼ばれている。)

母は着物とは無縁だったが、祖母に会う正月は小紋、夏は浴衣と子供の頃から和装に親しんでいた私にとって着物は身近なものだったように思う。

美術の知識など皆無だったど素人の中学生にも感じ取られる、何層にも重なった色の深み。

下染めからはじまり、独特の透明感を持つこだわりのドイツ直輸入染料で染色を繰り返す事により浮かび上がるその色こそが仁仙らしさで、唯一無二だった。

着物屋らしい事を言おう。

染色を繰り返すという事は、その分生地が地厚で上等でなくては耐えられない。

仁仙更紗は地紋から拘り、その織りは光の加減で浮かび上がり表情を変える。

ただの平織りではない。白生地の段階から紋様が織り込まれているのだ。

染めに拘るには、まず生地から。

拘りの生地に乗った色の深みに美しさを感じ、さらにトキメキを感じたのはその色が『推しカラー』だったから。

なんとも14歳らしい理由ではあるが、7歳から推し続けるアイドル『嵐』のメンバーカラーと、その反物に使われている色が合致し「嵐カラーだ!」と喜んでいた。

もちろん当時は、「きれいな色。嵐カラーだし、カッコいいデザインで人と被らないべ。これがいい。」くらいの解像度である。

それでも、14歳で6年後に着る晴れ着、それも振袖ですらない作家ものの高価な反物を「これがいい」と言い張った小娘に、「ちゃんと成人式に着てね」と私を信じて仕立ててくれた祖母の懐の広さたるや、社会人になった今の私には到底真似できないカッコ良さがある。

このカッコいい祖母の背中がなければ、私にとって着物にはなんの思い入れも残らなかっただろう。

私は一般呉服屋で着物全般の売り手を経験したあと着物専門のライターとして活動し、現在振袖専門店で成人式を迎える20歳のお嬢様とそのご家族様へお祝いのお手伝いをさせて頂いている。

昨今振袖選びは年々早くなり遅くとも2年前には振袖選びを推奨しているが、やはり早くに決めることは「好みが変わるのでは?」と心配される事も多い。当然だ。

その不安へのフォローは会社ごとに異なるので今回は割愛し、エッセイらしく自分語りを盛大にさせて頂く。

そんな私は2003年で櫻井翔くんに恋をしたあの日から21年、今でも嵐が大好きだし、あの時誂えた前田仁仙は20歳から着物業界に飛び込むきっかけとして自慢の一張羅になってくれたし、好きなものは変わらない。

これからも25周年を迎えた嵐を応援し続けるし、日本の文化である着物や成人式という人生の節目に立ち合える仕事に出逢えた悦びと感謝を忘れず、そして誇りを持ってこれからも従事したいと思う。

この日本という美しい国に、情緒的に四季を楽しむ「着物」という衣装文化を繋いでくれた先人達に敬意を込めて。

この記事を書いた人
碧井あんり

碧井 あんり(@anp_kimono

神奈川県出身。歌舞伎役者の叔父と祖母に影響を受け、20歳未経験で着物業界に飛び込む
。着物専門店で呉服全般の経験を積み管理職を務めたのち着物専門ライター・SNSディレ
クターとして活動。現在は神奈川県の振袖専門店で現場に立ち、成人式という人生に一度の
節目に携わっている。
好きなものは、アイドル「嵐」とお酒とカラオケ。
一張羅の着物は、前田仁仙の型染小紋。

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